「雪国」(川端康成)①

川端文学の難解さの理由

「雪国」(川端康成)新潮文庫

雪深い温泉町で
芸者・駒子と知り合った島村は、
彼女の清廉で一途な生き方に
心を惹かれながらも、
ゆきずりの愛以上のつながりを
持つことができなかった。
そして島村は、
悲しいほど美しい声の娘・葉子にも
興味を持つ…。

日本の誇る
ノーベル賞作家・川端康成の
最も有名な作品です。
それでありながら、
本作品を通して読んだ人は
決して多くないのではないかと
思うのです。
なぜなら作品が「難解」だからです。

「難解」といっても
大江健三郎の文章表現上の
難解さとは異なります。
川端作品は、
筋書きはわかるものの
何を表しているのか
理解するまでに
時間がかかるのです。
本作品も、
高等遊民の島村が温泉地を訪れ、
芸者に惚れたものの
どうすることもできない、という
単純極まりない筋書きでありながら、
川端が何を描こうとしたのか、
初読段階では理解できませんでした。
漱石「それから」の代助のように、
高等遊民・島村の文化人としての
苦悩を訴えたのでもなく、
谷崎潤一郎「卍」をはじめとする
諸作品のように、
不倫は上手く進展しないことを
描いたものでもないことは
確かなのですが。

数年前に再読し、
これは島村の目に映った
駒子の生き方を描いたものだと
考えました。
島村と駒子の恋愛を
描こうとしたものなら、
島村という人間がもっと
具体化されていいはずですが、
「小太りで色白」「文筆家の端くれ」
「妻子あり」くらいの情報のみで、
年齢すら不詳です。
島村の個性を可能な限り透明化し、
そこに駒子の生き方の美しさを
写し出そうとしたものだと
感じました。

今回再読し、
私の心を捉えたのは葉子の存在です。
本作品に初めに
登場する女性は葉子であり、
島村は温泉地に向かう汽車の中で
葉子に興味を持ち始めたところから
書き出されてあるのです。
そして最後は
火災の現場で気を失った葉子が
二階から転落する場面をもって、
突然幕が下ろされます。
つまり、
本作品は葉子で始まり、
葉子で終わっているのです。

その葉子も、
島村の目に映った姿と
駒子によって語られる姿でしか
描かれていません。
それも
「美しい声」が繰り返し現れるだけで、
具体的な描写に乏しいのです。
それでいて、
どこまでも陽気な駒子とは違った、
翳りのある
「陰」の美しさを持った女性として、
私の脳裏に像を結ぶのです。

もしかしたら、
川端が本当に描きたかったのは
葉子の方かも知れない。
そう思うようになりました。
名作は読むたびに違った風景を
読み手に伝えてくれます。
だからこそ「名作」なのでしょう。

(2019.1.29)

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